終活を考えたのは2019年。
生前整理アドバイザー2級講座を受講し、泣きながらエンディングノートをかいたことがありました。
時は流れて2026年。
世間の「法事」「お墓参り」「帰省」への考え方も変わってきたように感じます。
最近、「葬式も、収骨も、位牌も、法事も、何もいらない」というSNSの投稿を見ました。
この投稿に、たくさんの返信が書かれていて、
「自分も同じように思っている」
「家族のために、ある程度は決めておいたほうがいい」
「残された家族が困らないようにしておくのも大切」
読みながら、自分の中でもう一段階、考えが進みました。
「いらない」と思っているだけでは、家族はきっと迷う。
だったら、私がどうしてほしいのかを、エンディングノートに具体的に書いておこう。
そう決めて、実際に書き始めたことを、今日はまとめておきます。
49歳、更年期に「終活」を考えるようになった理由

更年期に入ってから、これからの人生について考える時間がより増えました。
・これから何を大切にしたいか
・何を手放したいか
・今まで続けてきたことを、この先も本当に続けたいのか
そんなことを考えているうちに、「前に書いたエンディングノートの情報を更新したい」と思うようになりました。
それは「焼き切り」というものを知ったことがきっかけでした。
骨すら拾わない「焼き切り」

前にスレッズで、日本中でやっている所は少ないが、「焼き切り」というものがあることを知りました。
「焼き切りとは、火葬の際に炉の温度を通常より高く設定し、遺骨が残らない(灰状になる)まで焼き尽くす方法。
別名「0(ゼロ)葬」とも呼ばれます。
骨がなければ収骨しなくていい、お墓も要らないという簡潔さ。
実際私が住む地域では「焼き切り」はできないようですが、収骨しない、したとしても最小限にすることは可能なようです。
2019年時点では、お墓はもたず、駅近いお寺で永代供養をしてもらいたいという希望を書いていました。
しかし、収骨なしもしくは最低限であれば、永代供養も不要になります。
そこで、Geminiに自分の希望を相談しながら実現可能か、整理していきました。
エンディングノートに書いたのは「葬儀の希望」
エンディングノートには、まず葬儀のことから書くことにしました。
私が選んだのは、一日葬です。
通夜はなし、大きな告別式もなし。
家族や親族が集まって、見送ってくれれば十分。
お坊さん・戒名・位牌は「なくていい」

これは、かなりはっきり決めています。
お坊さんは不要。
戒名も不要。
位牌も不要。
お仏壇も不要。
通夜や告別式で、お線香については、「家族が置きたければ、自由にどうぞ」です。
「やっぱりあげたい」と思うなら、好きなだけあげてください。
でも、「葬儀だから当然こうするもの」という理由だけで、無理にやる必要はないよ。
そんなふうに書いておこうと思っています。
お花だけは、ほしい
お花だけはお願いしたい。
葬儀場に頼んで、出棺のときに私のまわりに入れてほしい。
立派な祭壇じゃなくていい。
最後に、まわりをお花でいっぱいにしてもらえたら、それで十分です。
呼ぶのは家族と親族だけでいい
参列してほしいのは、家族と親族だけ。
来られるなら、夫の両親や兄弟まで。
親しい友人は、どこかで手を合わせてくれたら嬉しいです。
たくさんの人に来てもらう必要はありません。
「誰を呼ぶ?」「あの人には連絡する?」と家族が悩まないように、エンディングノートに書いておこうと思います。
服装は自由に、「私に会うときの服」で
服装も、細かく指定するつもりはありません。
基本は、「私に会うときに着る服」で来てください。
「こういうときは喪服を着たい」と思うなら、喪服でもいい。
そこは自由。
私のために「正しい服装」を頑張って選ばなくていいと思っています。
喪服も縮むしね(苦笑)。
香典も香典返しも、もう「いらない」
そして、香典不要。
もし持ってきてくれても、香典返しはしません。ごめんなさい。
でも私、
内祝いが大嫌い。根絶えろ。
と思っているタイプなので(正直)、最後の最後まで、家族に「香典返しどうする?」という仕事を増やしたくありません。
私が死んだあとくらい、そういう事務作業から解放されてほしい。
だからこそ、参列してくれる最小数の人数でお願いしたいです。
最後にお願いしたいこと:笑って見送ってほしい
そして、これが一番書いておきたいことです。
出棺の日。私の遺体を家族で囲んで、やばいエピソードを言いながら、お花を入れてほしい。
「あんなこと言ってたよね」
「そういえば、あのときめちゃくちゃ怒ってたよね」
「いきなり踊りだすんよ」
みたいな。
泣いてもいい。
笑ってもいい。
思い出話をしてもいい。
しんみりしていてもいい。
でも最後くらい、「あの人、ほんと面白かったよね」って笑ってもらえたら、私はかなり嬉しいと思います。
お仏壇も法事も要らない

お墓もないので、お仏壇も不要です。
もしそれっぽいものを飾りたかったら、私の写真をアクスタ(アクリルスタンド)にして飾ってください。
法事も要りません。
たまに集まって、おいしいごはんでも食べながら近況報告がてら楽しい時間を過ごしてください。
区切りが欲しければ、どうぞお好きなように。
(でも私への法事は本当要らないからね)
家族葬を選んだからこそ、心配していること
家族葬にしよう、と決めたときに、ひとつだけ気になったことがあります。
それは、
「あとから弔問にやってくる人」
「葬儀に参列したいと言ってくる、家族以外の人」
家族葬って、家族や親族だけで静かに見送れる分、こういうことが起こりやすいと聞きます。
葬儀そのものは無事に終わったのに、「知らなかった、線香だけでもあげさせてほしい」と、あとから自宅に人が訪ねてくる。
悲しみの中にいる家族が、そのたびに対応に追われる。
それって、本当に家族のためになっているんだろうか、と思ったんです。
私が「家族葬にしてほしい」と決めたのは、家族に、事務的な負担や気疲れをできるだけ背負わせたくないからです。
なのに、葬儀のあとまで誰かの対応に追われるとしたら、本末転倒だなと。
だから、生きているうちにFacebookで伝えておく

なので私は、元気なうちに、Facebookで伝えておくことにしました。
「私が死んだら、家族葬でやります。式には来なくて大丈夫です。もしよかったら、どこかで手を合わせてもらえたら、それが一番の望みです」と。
参列も、弔問も、無理にしてもらわなくていい。
どこか自分の暮らしている場所で、ふと思い出して手を合わせてくれる。
それだけで、私は十分だと思っています。
そして、実際に私が死んだときのことも決めています。
夫か子どもに、私の代わりにFacebookへ投稿してもらう。
「本人の希望で家族葬にて見送りました。ご容赦ください」
そんな一文を、代理で書いてもらうつもりです。
生前から伝えておけば、家族は「連絡すべきかどうか」で悩まずに済みます。
訃報を誰にどう伝えるか、という気疲れも、ひとつ減らせます。
これも、エンディングノートに書いておこうと思っていることのひとつです。
エンディングノートは「死ぬ準備」だけじゃない
こうして書き出してみると、エンディングノートは、単に「死んだあとの準備」をするものじゃないのかもしれません。
自分は何を望んでいるのか。
何を望んでいないのか。
誰かに何を託したいのか。
逆に、家族に何を背負わせたくないのか。
書いてみることで、自分が大切にしていることが見えてきます。
そして私は、「こうしなければならない」を、できるだけ減らしたいんだなと気づきました。
葬儀も、香典も、香典返しも、服装も、法事も、宗教的なことも。
残された人たちが「世間的にはこうするものだから」と無理をする必要はない。
私が死んだあとまで、誰かが私のために無理をしなくていい。
それが、今の私の希望です。
エンディングノートをデジタル化する方法|Googleドキュメントで管理
以前書いたエンディングノートは冊子でしたが、今回はGeminiを活用します。
エンディングノートに書いておくとよい情報をGeminiに出してもらい、自分の希望も入れると自動でGeminiが上書きしてくれて、今後も適宜修正できるようGeminiがGoogleドキュメントで作成してくれました。

葬儀のことだけでなく、大切な人に伝えたいこと、お金のこと、持ち物の処分について、デジタルデータのこと、延命や臓器提供についての希望も書きました。
このGoogleドキュメントの共有リンクを、家族のグループラインのノートに記録。
父母・兄弟のグループラインでも、自分の葬儀の意向を誕生日に伝えました。
このGoogleドキュメントを今後活用していこうと思います。
【おわりに】49歳だからこそ、今書いておく
まだまだこれからやりたいこと、あります。
だから「もう死ぬ準備をしなくちゃ」という話ではありません。
むしろ逆で、これからを自分らしく生きるために、いらないものを明確にしておく。
そんな感覚に近いです。
これからも少しずつ、上書きしていこうと思います。
データだけでなく、クリアファイルにGoogleドキュメントで作成したエンディングノートを印刷したものと可愛い笑顔の私の写真を一枚いれて。
それでは、また。

